イタリア語を始めたきっかけ
まだ2日目なので書きたいことがわんさか出てきますね。
発明品「カンニングまぶた」や「全人類既に滅亡説」について書くのは後日にしましょうか。これも一応イタリア留学ブログなので、今回は原点に立ち返りどうして私がイタリア語をはじめたかについて書いてみようと思います。
すごくシンプルに言うと、
高2の夏にイタリアの男の子に恋をしてしまったからなんです。
6年前の夏休み、単身イギリスに英語を学びに行った私はクラスの半分がイタリア人という環境に突然放り込まれることになりました。語学学校初日からもうほんっとうにイタリア人集団はいつも楽しそうで、孤独と不安に耐えかねた私は友達を現地調達することを決意したんです。マンマミーア!とかアランチャスプレムータ!とか、知っているイタリア語をとにかく言ってみたり、あと日本語をイタリア語っぽく言う特技(この意味がよく分からない人は「炙り鰹」ってそれっぽく言ってみてください)を披露したりしてすぐにイタリア人の輪に入ることができました。
そんな中、いつも仲間の笑いの中心にいたMくんに恋をしてしまったんです・・・
イタリア語どころか英語もあんまり分かってない私にも気を遣って楽しませてくれました。面白くて優しくてしかもイケメンですよ、そりゃ好きになっちゃいますよねえええ〜
当時16歳の私は彼に告白する勇気もないまま帰国の日を迎えました。帰りの飛行機ではつまらない韓国のラブコメ見ておいおい泣きました。しかもそのとき隣の席がスペイン人カップルで、知恵の輪ばりにお互いの脚を絡ませているものですから余計に悲しくなってしまいまして。リア充爆発しろ、と生まれて初めて思ったのがあの瞬間だったのかもしれません、いま思えば。
帰国してしばらく経っても私はMくんを忘れることができませんでした。私がイタリア語に熱中したのは日本に帰ってからで、というのもFacebookで彼の動向を探る必要があったからなんです。彼が何を書き込み、どんな音楽を好み、どんな毎日を過ごしているかを知るためにはなにがなんでもイタリア語が必要でした。そしていつか絶対に絶対にMくんに会うべく、大学も東京外大のイタリア語学科を受験しました。ひとりの女の進路まで変えてしまうほど惚れさせる男ってなによMくん。
※2011年は思わぬザッケローニの襲来、予期せぬ長友の活躍があり外大イタ語科の偏差値が急上昇、さらに震災の影響で後期試験が受けられずに不合格になりました☆ きゃぴ☆
また、母校の県立横浜国際高校はありがたくも第二外国語教育に力を入れている学校で、イタリア語の授業自体はなかったものの(私は中国語を履修していました)まわりにスペイン語やらフランス語やらを学んでいる友達がたくさんいたこともイタリア語を学ぶ高いモチベーションになりました。
スペイン語で○○ってこう言うんだぜー!
フランス語だとこうだよー!
いやいやイタリア語だって!という友人たちとのやりとりは愛しい青春の一部です。
さて、好きな人のFacebookを覗くこととは別に、私には外国語学習という趣味があります。
といっても、私の外国語遍歴は私の下心遍歴と同義です。
始めた順で並べていくと、
英語(12歳):ポールマッカートニーと結婚したかったから
中国語(15歳):チャイニーズマネーに目をつけたから
イタリア語(16歳):イタリア男に恋をしたから
スペイン語(18歳):フェルナンドトーレスがかわいかったから
タイ語(20歳):タイ専門の文化人類学の教授がホットすぎたから
きっかけはなんにせよ、外国語って本当に楽しいですよね。
情報伝達だけなら英語やコンピューター言語で十分なのかもれしれませんが、本当に仲良くなって相手の心を開きたいのなら現地の言葉を知っていた方がいいと思います。
どこか外国に旅行に行く時は必ず現地の言葉を少しでも多く身に付けてから行くようにしています。その方が旅は絶対に充実したものになるからです。
大学では外国語学部英語学科に属していますが私の外国語に関するポリシーは「広く浅く」です。ひとつかふたつの言語を極めることも確かに尊敬されるべきですが、10カ国語ぐらいを少しずつかじるのってとても楽しいことだと思います。言語のスペシャリストになるわけではないから、基本的な挨拶や感謝の言葉、あとは歌うとか踊るとかの愉快な動詞を覚えればいいんです。
ほんの少しの言葉のやりとりでも誰かを好きになってその人に好かれたいと思うのですから、それだけ言葉のパワーってあるのだと思います。あと顔面な。
今となってはほんの少しの言葉のやりとりではすまないほどのめり込み、「広く浅くときどき深く」を極めるべくイタリア留学を決意した次第であります。
なんだかいつも長くなってしまうなあー。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
それではみなさん良い一日を。今日は寒くなりそうですよ。