"God created Adam and Eve, not Adam and Steve."

 

一切の殺生を禁ずるジャイナ教の教えに傾倒し、一時期自作の「ジャイナ教のうた」を口ずさんでいた仏教徒 真言宗の父と、浄土真宗から真言宗に嫁入りした二股状態の母に育てられた私は、これまで人生のある時点まで自分の宗教を知らずに、というかそもそも宗教なんて全く意識せずに生きていました。

 

それは小学4年生のとき、毎日遊んでくれていた大好きな祖父が亡くなり、仏壇の前で心の底から祖父の安寧を祈るようになってから、ああ自分は仏教徒なのだなと薄ぼんやり自覚するようになったことを覚えています。
そのときから今に至るまでわたしは善良な仏教徒ですが(高2の時に血迷って自分が教祖のオリジナル宗教を開発し、仲の良かった先生や弓道部の仲間にプレゼン、いや宣教を試みて失敗に終わったことはここだけの話)、思えば仏教以外にも「宗教」という言葉は長いこと私を魅了してきました。そしてイタリアに来てからは特に。

シエナから足を伸ばして週末にふらりと新しい街を訪ねる際、どこに行っっっってもいわゆる観光スポットの9割がカトリック関連であるため(例えば教会を例にとっても建造物自体はもちろん、宗教画、石像、ステンドグラス、そこで行われる儀式 etc.)、どうしたってキリスト教文化に興味を持たざるを得ないのです。そして訪れた教会の数が増えるごとに「地球の歩き方」の説明ではだんだん満足できなくなってきます。
 
 

話はすこし変わります。

今週からクラスの編制がかわり新しく一緒に勉強することになった仲間の中に、オーストラリア出身のカトリック司祭の方がいます。名前はジャスティンさん。近くで見るとじつは40代から50代のおじさんだと気がつくのですが、立ち居振る舞いが清らかでいてとても若々しく、遠目で見ていた頃は同年代の青年かと思っていたほどのひとです。
 

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(写真の掲載許可は取ってあります)

 

私がキリスト教の文化に興味があると知ると、せっかくだから、とお昼ご飯に誘ってくれました(自分の宗教背景を既に伝えてあったので、布教しようとかそういうつもりだったわけではないと思います)。
 
私としては、これまで知りたかった疑問をその道のプロ(?)に教えてもらえる絶好のチャンス。訪れた教会の数だけノートに書き溜めていた素朴な疑問をジャスティンさんのおおらかさにつけこんでにぶつけてみました。

「修道士の人が腰からぶら下げているじゃらじゃら、あれは何の用途でぶら下がってるの?」「IHSって?」「OPAって?」「十字架にかかったキリストの脇腹にいつも傷があるのはどうして?」「ジャスティンさん自身がカトリックを信じるようになったのはなぜ?」などなど・・・
 

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そして長いこと抱いていたある質問にようやくたどり着きました。
タイトルに興味をもってここまで読んでくれた方もきっと同じお気持ちですね!
本題にようやくたどり着きました。
 

カトリックで同性愛を禁じているのはなぜ?」
 

※留意点1
これから書く文章は私の見解ではなく、あくまでジャスティンさんが学んだ聖書の解釈です。というのも、彼が教えてくれた説明に私自身むしろ納得がいかないというか、咀嚼しきれていない部分が多くあります。

※留意点2
加えて、以下の説明は「私のイタリア語聞き取り力」と「ジャスティンさんのイタリア語ボキャブラリー」を用いてなされたものです。なのでどうか詳しい方、もし解釈に間違った点を見つけたらご指摘いただけるとありがたいです。

※留意点3
対話形式で書きますがより分かりやすくするためにジャスティンさんのパートは書き言葉に変えてあります。不自然で気持ち悪くみえますが本物のジャスティンさんはもっとさわやかでとても優しいおじさんです。
 
※留意点4
親愛なる同性愛者の友人たちへ。私がこれを書くことであなたたちに不快な思いをさせてしまわないか不安です。カチンとくる表現があったら今度会ったときに右頬を差し出すので、ついでに左頬も一緒に殴ってください。。。

カトリックで同性愛を禁じているのはなぜ?」
ーーー神は全てを創られた。この世に必要な全てを。創造主である私たちの父はアダムとイブをおつくりになったのであって、アダムとスティーブという組み合わせをおつくりになったわけではない(こういうジョークが英語にあるそうです)。あくまでも神がつくったものが完全であり、それが正しい。
 
「それでもまだなぜ同性同士が愛し合ってはいけないのか分からない・・・。kwsk。」
ーーー愛する者同士の間には『補完性』がなくてはならない。男と女であるからそれがなされるのであって、男と男・女と女ではそれが機能しない。

「けどその『補完性』ってなんのこと?たしかに子孫を残すことは今の技術では難しいけど、同性同士でも完璧なカップルはいる。彼らは精神的にも肉体的にも他にもいろんな面から支え合っているはずだし、きちんと補完し合っているように私には見える。」
ーーーカトリックの教えでは性愛(エロス)の目的は2つある。
※ちなみに「エロス」とは檀蜜とか杉本彩とかそういうのではなくて、カトリックにおける「3つの愛」のうちの1つです。エロスのほかには「隣人愛(フィリア)」と「神の愛(アガペー)」の2種類があります。
 
・2人の間の幸福
・子供をつくること
 
それ以外、たとえば快楽を目的とした性愛は罪業(伊 peccato, 英 sin)である。
 
(愛し合う目的も神様に決められてるのかいっ!)うーーーーん、納得はしていないけどジャスティンさんがなにを言っているかは理解できた。じゃあ、もし同性に対して、友愛ではない別の感情がふと芽生えてしまったら・・・。それすらも罪なの?」
 
ーーー人間は神と違って完璧ではない。時に間違いも犯す。誘惑されてしまうこともある。ただしそれを行動に起こすことは間違っている。罪だ。例えば、いま私はツナサンドとリンゴを食べた。しかしふと横を見るとそこには大きくて美味しそうなピザが一枚あったとする。ここで「美味しそう」「食べたい」と思ってしまうこと自体は仕方のないことだ。だが、実際に手を伸ばしてそのピザも口にしてしまったら食べ過ぎ。つまり一線を超えてしまうことである。もっと分かりやすく例えると、誰しもが怒りの感情を持つことはある。しかし、その怒りに任せて相手を殴ってしまったらそれは罪になる
 
(「誰かを恋しく思う気持ち、ただそれががたまたま同性だった」ということが、たとえ話だったとしても暴力と同じカテゴリーの「罪」にあたるということがショックでした。)

「神は全てを創ったというのなら、同性愛だって神の創造物だと言えるのでは?」
ーーーイブが禁断の果実を手にしてから全てが狂いはじめてしまった。神は7日間かけてこの世界をお創りになったが、イブがヘビにそそのかされて果実を食べてしまう前は、この世界は美しい完全な場所だった。それ以降、この世界には盗みも暴力も貧困も戦争も存在する神のお望みにならない様になってしまった。
 
 


というのがジャスティンさんの教えてくれた説明でした。

うんうんと話を聞きながらも、じゃあそもそもなぜ神は禁断の果実とヘビを「完全な」はずのエデンの園に置いたのかとか、子供を持たない夫婦間の愛をどう説明するのかとか、最初に質問する前以上に気になることがたくさん出てきてしまいました。話がそれすぎると思ったので今回は我慢しましたが・・・詳しい人おしえて・・・


さてさて、日付も変わってそろそろおやすみの時間になりました。明日の朝は早起きなんです。実はジャスティンさんとバス停に6時半に待ち合わせをして、仲間の聖職者の方々と一緒に早朝ミサに参加させてもらう約束があるのです!
 
わくわく!
 
ジャスティンさんと話をしてから、カトリック!思ってた以上に頭がかたい!などと感じるようになってしまいましたが、理解できないものこそ避けずに逃げずに寧ろ自分から近づいていくことが大切なのだと思います。
 
元同居人(ドイツ人19歳)との暮らしで身をもって学んだことです。
 
ましてイタリアを愛している限り、カトリックさんとは今後も長いお付き合いになるはずです。仲良くなりたいです。今後もどんどんぶつかっていこうと思います。

ここのところキリスト教のことばかり勉強して、自分の宗教についてなにも語れるものがないことに気がつき内心恥じています。もっと知りたい。仏教もアッラージャイナ教七福神もジョンレノンも・・・
 
でも、今日の記事をいつか何かの授業のレポートに使い回せないかと考えている私はまさに輪廻転生を信じる仏教徒の鏡ですよね!!
 

では、おやすみなさーい!