アルゼンチンババアの教え

 
私が親愛の情を込めて(心の中で)こう呼んでいるのは、よしもとばななのあの代表作のことではなく、同じ語学学校に通うアルゼンチン出身イスラエル在住のおばちゃんです。
 
強烈なキャラクターとビートたけし似の顔面を持つアルゼンチンババアと私は割と仲が良く、話し好きの彼女はクラスの違う私にもいつもたくさん話しかけてきてくれます。
 
 
※参考画像 絵・川田夏穂

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今日の休み時間もアルゼンチンババアは私の方にやって来てくれました。
 
どうやら、アルゼンチンババアとクラスメイトの日本人女性(こちらは「暇をもてあました神々の遊び」でおなじみモンスターエンジンの西森さん似)が、同世代同士で仲良くお話をしていたところ、ある時点で話が急に通じなくなったのでそれを私に訳してほしいということでした。
 
 
アルゼンチンババア「ねえちょと!ナツホ!この人さっきから話が通じないんだけど日本語に訳してくれない!?わたしはね!本当ぉ〜〜〜に日本人というのは上品だと思うしっっ何事にも丁寧でお行儀が良くてっっ、とっっっても素晴らしい文化を持ってると思うのよ!!!私はさっきからこれが言いたいだけなのに!彼女ったら『ノー!ノー!』って、何回言っても理解してくれないのよ!!お願いだから訳して訳して〜〜〜」
 
 
暇をもt 日本人女性「いやいや私はこの人の言ってること分かってるのよぉ!そんなことないわよって言ってるだけなのに〜」
 
 
なるほど・・・
これはきっと英語やイタリア語が通じてないっていうか・・・
そもそも文化が通じてないことが原因なのでは・・・
 
 
ーーーーーーー暗転ーーーーーーー
 
 
「本心から褒めているのにそれを鼻から否定するのはまじでアンフレンドリー!
ぶっちゃけあの時は『素直に受け取れよこのファッキンジャパニーズ!』ってぐらいむかついた!!^^」
 
これは数日前の食卓での同居人の言葉です。
同居人の言う「あの時」というのはいまから2ヶ月ほど前のこと。
 
まだあまり仲の良くなかった同居人に
「ナツホはとても美人だと思う。たまにジェラシー感じるぐらいそう思う。」
と言われたことがあります(↑いまこれ書きながら恥ずかしくて死にそう)。
 
私は客観的に自分の顔面偏差値は45ぐらいだと思っているので、当然ながらその時も「はあ!!!??ありえねえよ!!!」という感じで全否定しました。この日のことを振り返って、私たちは話をしていたのです。
 
 
ところで、比較文化論などで日本の謙遜について語るときによく出される例があります。
 
私たちは人にものをプレゼントするとき「つまらないものですが・・・」とよく言いますよね。これは実は西洋文化圏の人からしたら「なんでわざわざ『つまらないもの』をプレゼントするの?ひどい」と取られるようです。
 
他にも自分の家族を「愚妻」や「愚息」と言ったり、贈り物をするときに「松の葉」という一言を書き添えたり、自宅の庭を「猫の額ほど」と表現したり・・・このように謙遜する文脈で使われる言葉が日本語にはたくさん。
 
湘南の栗まんじゅうこと川田夏穂が「ジェラシーを感じるほど美人だ」と言われて「ノー」と言うのは謙遜でもなんでもなく誤りを正す全うな否定なのですが、まあそれは置いといて、多くの場合日本では褒められたらまず謙遜して「そんなことないよ〜」と続きますよね。
 
しかし、お世辞ではなくて本心から褒めているのにそれを一生懸命に否定する。
それが相手(この場合アルゼンチンババアや同居人)に対して壁を作っているように受け取られてしまったようなのです。
 
先ほどのビートたけしモンスターエンジンのやりとりに戻りますが、
自国を褒められたことを日本の文化規則(謙遜)に則って「ノー!ノー!」と返すのは、
西洋的文化圏で育ったビートたけしには理解不能の言動だったようです。
 
つまり、言語を共有していないからではなく、文化を共有していなかったことから生じるものだったのだと思います。
 
 
もうひとつ謙遜にまつわる東西文化の摩擦の例を思い出したのでまとめてみました。
 
【母親を褒める】
 
同「うちのお母さん、若い頃から本当に美人で、娘の私からしてもため息が出るほど素敵なの。」
私「うちのお母さん、下半身太りだし地黒だしくせっ毛だし、残念な見た目ばっかり似ちゃった。」
 
同居人の心の中:お母さんのことが大好きで誇らしい。夏穂にもうちの母親の素晴らしさを伝えたい。
私の心の中:身内自慢は鬱陶しい。なぜいつも同居人は家族の自慢話ばかりするのだろう…
 
答え:個人主義の西洋文化(「母親≠私」なので家族の自慢は問題ない)
   集団主義の日本文化(家族の自慢は自分の自慢と同義)の摩擦
 
これまで外国語をいくつか学んできましたが、円滑なコミュニケーションのためには流暢な言葉の運用だけでなく相手の文化背景にまで視野を広げてみることが大事なのだと身をもって感じたできごとでした。
 
 
 
 
おわりに、6月末で帰国する同居人との暮らしについて。
上の例で出したようにお互いに感じていた相手へのイライラの原因や摩擦の謎が対話(今やイタリア語8:英語2)によって次々と明らかになる最近です。韓流ドラマの最終話のような、楽しくて明るくて少し切ない最後の1ヶ月をふたり仲良く噛み締めています。
 
※カタカナを覚えたい同居人の図

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いつも長い文章なのに最後まで読んで頂いてありがとうございます。
リモンチェッロを引っ掛けてから書いてるので、多少の無礼はお許しください・・・
 
 
それじゃ、ボナノッテ!