【English ver.】 "God created Adam and Eve, not Adam and Steve." Part 1

 

Few days ago one of my gay friends asked me what I’d written on my blog so I translated my previous post for non-Japanese friends :)

(Soooo embarrassed to show my poor English though!!!!lol)

 

 

My father is a Buddhist (Shingon sect) who’s captivated by Jainism, which prohibits destruction of any lives and used to hum his original “Jainism song” for some periods. And my mother, born and raised up in a family of Jodo-shin sect of Buddhism and married into a Shingon sect family (so she’s a bit like “flighty” in a sense.) Being in this “religiously-complicated” family, I was brought up not knowing my religion or rather I’d never thought about religion itself until a point of time.

 

It was 12 years ago. My grandfather, who was like my best friend has passed away. From this moment, I come to pray for him from the bottom of my heart in front of a Buddhist alter in a house. This experience made me conscious of being a Buddhist.

 

From 10 years old I’ve been always a good Buddhist (oh! it’s a secret that when I was 17 years old I tried to be the founder of my original religion and failed to convince my friends and teachers to join me.) Not only Buddhism, but also the word “religion” has enchanted me for a long time. And especially after that I came here in Italy.

 

Whenever I go for short trip from Siena, which now I live in, almost aaaaaaaalllll of the tourist sights have a lot to do with Catholic, for example: churches, portraits, statues, stained glasses, ceremonies festivals… In fact, I had no choice but to have an interest in Catholic culture so much. As the number of churches that I’ve visited increases, gradually a guidebook’s explanation doesn’t satisfy my curiosity.

 

By the way,

 

from this Monday a priest from Australia came to my class and we are studying Italian together. His name is Fr. Justin. Seeing him closely I noticed he’s around forties or fifties but looking at him from distance I’d thought he would be a young man in my age because of his chaste and young behavior.

 

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One day Fr. Justin kindly invited me for lunch after knowing I was interested in Christian culture (I don’t think he’s tried to persuade me to be Catholic because I’d already told my religious background.) 

 

For me it was a good chance to ask many questions that I’d have for a long time to the “professional.” So it can never be missed. I asked many questions about Christianity (a little bit impudently maybe…?)

 

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“What are the chains that monks have around their waist? For what reason?” “What is IHS?” “What does OPA mean?” “Why does every statue and portrait of Christ on the Cross has wound on his right belly? What happened to him?” “What was the trigger that made you believe in God? Catholic??”

 

 

Finally I arrived at the question that I longed for knowing it.

Those who’re reading this article should have the same feeling!lol Finally we arrived at the main topic.

 

 

“So why does Catholic prohibit homosexuality?”


(to be continued...)

"God created Adam and Eve, not Adam and Steve."

 

一切の殺生を禁ずるジャイナ教の教えに傾倒し、一時期自作の「ジャイナ教のうた」を口ずさんでいた仏教徒 真言宗の父と、浄土真宗から真言宗に嫁入りした二股状態の母に育てられた私は、これまで人生のある時点まで自分の宗教を知らずに、というかそもそも宗教なんて全く意識せずに生きていました。

 

それは小学4年生のとき、毎日遊んでくれていた大好きな祖父が亡くなり、仏壇の前で心の底から祖父の安寧を祈るようになってから、ああ自分は仏教徒なのだなと薄ぼんやり自覚するようになったことを覚えています。
そのときから今に至るまでわたしは善良な仏教徒ですが(高2の時に血迷って自分が教祖のオリジナル宗教を開発し、仲の良かった先生や弓道部の仲間にプレゼン、いや宣教を試みて失敗に終わったことはここだけの話)、思えば仏教以外にも「宗教」という言葉は長いこと私を魅了してきました。そしてイタリアに来てからは特に。

シエナから足を伸ばして週末にふらりと新しい街を訪ねる際、どこに行っっっってもいわゆる観光スポットの9割がカトリック関連であるため(例えば教会を例にとっても建造物自体はもちろん、宗教画、石像、ステンドグラス、そこで行われる儀式 etc.)、どうしたってキリスト教文化に興味を持たざるを得ないのです。そして訪れた教会の数が増えるごとに「地球の歩き方」の説明ではだんだん満足できなくなってきます。
 
 

話はすこし変わります。

今週からクラスの編制がかわり新しく一緒に勉強することになった仲間の中に、オーストラリア出身のカトリック司祭の方がいます。名前はジャスティンさん。近くで見るとじつは40代から50代のおじさんだと気がつくのですが、立ち居振る舞いが清らかでいてとても若々しく、遠目で見ていた頃は同年代の青年かと思っていたほどのひとです。
 

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(写真の掲載許可は取ってあります)

 

私がキリスト教の文化に興味があると知ると、せっかくだから、とお昼ご飯に誘ってくれました(自分の宗教背景を既に伝えてあったので、布教しようとかそういうつもりだったわけではないと思います)。
 
私としては、これまで知りたかった疑問をその道のプロ(?)に教えてもらえる絶好のチャンス。訪れた教会の数だけノートに書き溜めていた素朴な疑問をジャスティンさんのおおらかさにつけこんでにぶつけてみました。

「修道士の人が腰からぶら下げているじゃらじゃら、あれは何の用途でぶら下がってるの?」「IHSって?」「OPAって?」「十字架にかかったキリストの脇腹にいつも傷があるのはどうして?」「ジャスティンさん自身がカトリックを信じるようになったのはなぜ?」などなど・・・
 

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そして長いこと抱いていたある質問にようやくたどり着きました。
タイトルに興味をもってここまで読んでくれた方もきっと同じお気持ちですね!
本題にようやくたどり着きました。
 

カトリックで同性愛を禁じているのはなぜ?」
 

※留意点1
これから書く文章は私の見解ではなく、あくまでジャスティンさんが学んだ聖書の解釈です。というのも、彼が教えてくれた説明に私自身むしろ納得がいかないというか、咀嚼しきれていない部分が多くあります。

※留意点2
加えて、以下の説明は「私のイタリア語聞き取り力」と「ジャスティンさんのイタリア語ボキャブラリー」を用いてなされたものです。なのでどうか詳しい方、もし解釈に間違った点を見つけたらご指摘いただけるとありがたいです。

※留意点3
対話形式で書きますがより分かりやすくするためにジャスティンさんのパートは書き言葉に変えてあります。不自然で気持ち悪くみえますが本物のジャスティンさんはもっとさわやかでとても優しいおじさんです。
 
※留意点4
親愛なる同性愛者の友人たちへ。私がこれを書くことであなたたちに不快な思いをさせてしまわないか不安です。カチンとくる表現があったら今度会ったときに右頬を差し出すので、ついでに左頬も一緒に殴ってください。。。

カトリックで同性愛を禁じているのはなぜ?」
ーーー神は全てを創られた。この世に必要な全てを。創造主である私たちの父はアダムとイブをおつくりになったのであって、アダムとスティーブという組み合わせをおつくりになったわけではない(こういうジョークが英語にあるそうです)。あくまでも神がつくったものが完全であり、それが正しい。
 
「それでもまだなぜ同性同士が愛し合ってはいけないのか分からない・・・。kwsk。」
ーーー愛する者同士の間には『補完性』がなくてはならない。男と女であるからそれがなされるのであって、男と男・女と女ではそれが機能しない。

「けどその『補完性』ってなんのこと?たしかに子孫を残すことは今の技術では難しいけど、同性同士でも完璧なカップルはいる。彼らは精神的にも肉体的にも他にもいろんな面から支え合っているはずだし、きちんと補完し合っているように私には見える。」
ーーーカトリックの教えでは性愛(エロス)の目的は2つある。
※ちなみに「エロス」とは檀蜜とか杉本彩とかそういうのではなくて、カトリックにおける「3つの愛」のうちの1つです。エロスのほかには「隣人愛(フィリア)」と「神の愛(アガペー)」の2種類があります。
 
・2人の間の幸福
・子供をつくること
 
それ以外、たとえば快楽を目的とした性愛は罪業(伊 peccato, 英 sin)である。
 
(愛し合う目的も神様に決められてるのかいっ!)うーーーーん、納得はしていないけどジャスティンさんがなにを言っているかは理解できた。じゃあ、もし同性に対して、友愛ではない別の感情がふと芽生えてしまったら・・・。それすらも罪なの?」
 
ーーー人間は神と違って完璧ではない。時に間違いも犯す。誘惑されてしまうこともある。ただしそれを行動に起こすことは間違っている。罪だ。例えば、いま私はツナサンドとリンゴを食べた。しかしふと横を見るとそこには大きくて美味しそうなピザが一枚あったとする。ここで「美味しそう」「食べたい」と思ってしまうこと自体は仕方のないことだ。だが、実際に手を伸ばしてそのピザも口にしてしまったら食べ過ぎ。つまり一線を超えてしまうことである。もっと分かりやすく例えると、誰しもが怒りの感情を持つことはある。しかし、その怒りに任せて相手を殴ってしまったらそれは罪になる
 
(「誰かを恋しく思う気持ち、ただそれががたまたま同性だった」ということが、たとえ話だったとしても暴力と同じカテゴリーの「罪」にあたるということがショックでした。)

「神は全てを創ったというのなら、同性愛だって神の創造物だと言えるのでは?」
ーーーイブが禁断の果実を手にしてから全てが狂いはじめてしまった。神は7日間かけてこの世界をお創りになったが、イブがヘビにそそのかされて果実を食べてしまう前は、この世界は美しい完全な場所だった。それ以降、この世界には盗みも暴力も貧困も戦争も存在する神のお望みにならない様になってしまった。
 
 


というのがジャスティンさんの教えてくれた説明でした。

うんうんと話を聞きながらも、じゃあそもそもなぜ神は禁断の果実とヘビを「完全な」はずのエデンの園に置いたのかとか、子供を持たない夫婦間の愛をどう説明するのかとか、最初に質問する前以上に気になることがたくさん出てきてしまいました。話がそれすぎると思ったので今回は我慢しましたが・・・詳しい人おしえて・・・


さてさて、日付も変わってそろそろおやすみの時間になりました。明日の朝は早起きなんです。実はジャスティンさんとバス停に6時半に待ち合わせをして、仲間の聖職者の方々と一緒に早朝ミサに参加させてもらう約束があるのです!
 
わくわく!
 
ジャスティンさんと話をしてから、カトリック!思ってた以上に頭がかたい!などと感じるようになってしまいましたが、理解できないものこそ避けずに逃げずに寧ろ自分から近づいていくことが大切なのだと思います。
 
元同居人(ドイツ人19歳)との暮らしで身をもって学んだことです。
 
ましてイタリアを愛している限り、カトリックさんとは今後も長いお付き合いになるはずです。仲良くなりたいです。今後もどんどんぶつかっていこうと思います。

ここのところキリスト教のことばかり勉強して、自分の宗教についてなにも語れるものがないことに気がつき内心恥じています。もっと知りたい。仏教もアッラージャイナ教七福神もジョンレノンも・・・
 
でも、今日の記事をいつか何かの授業のレポートに使い回せないかと考えている私はまさに輪廻転生を信じる仏教徒の鏡ですよね!!
 

では、おやすみなさーい!

iPhone 6 の情報が漏れちゃったみたいです ( 2014年 7月15日 "Corriere della Sera" 誌より)

日本のみなさんおはようございます。イタリアのみなさんこんばんは。

 
約一ヶ月ぶりの投稿です。
 
突然ですが、最近わたしのiPhoneの調子がすこぶる良くないんです。
急に電源が落ちたり同じ画面から動かなくなってしまったり。
 
まあしょっちゅう持ち主に落とされたり重労働を強いられたりしているのであちら側としてもストを起こしたい気持ちもわかりますが。
 
帰国したら新しく買い替えたいな〜なんて思い始めていた矢先の今日の記事でした。
 
昨日また新型iPhoneの情報が漏れちゃったみたいです。
 

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ネットのニュースを見ていても日本ではまだ騒がれていないようなので、たぶんまだ日本語になっていないホットな情報だと思います。イタリア語の勉強がてらにかんたんに要約してみました。
今回のブログの投稿はいつもとは違って私の見解や意見などいっさい挟まないとてもクリーンなものなので(笑)、もし興味がある方がいればどうぞ。正確に情報を訳せているかはわかりませんが。
 
 
 
"iPhone 6, iWatch e gli sconti eBay"
※そもそもiWatchやeBayがなんなのか知らないので、iPhone6に関する情報だけピックアップしてしまいました。だれか教えて!
 
 
7月14日Foxconn社のある社員がiPhone第6世代の標本の写真を取ることに成功。
今のところまだ最終的な予測段階ではあるが実際にiPhone6の企画として間違いは無さそう。
 
 
【9月末から販売開始】
前世代の発売も秋であったが、今回もアップル社にとって9月が重要な月となりそうだ。
アップル社のハードウェア製造に関与しているTechChina社によれば、9月の10日と25日、2つの日程が明かされているそうだ。10日にアップルによる公式プレゼンテーションが執り行われ、25日には販売が開始される模様。一方、ドイツテレコム社のオペレーターの持つ別の情報ソースによれば9月の19日にはリリースされるようだ。
いずれにせよ、iOS8とiPhone6の発表は9月中になるであろうということは間違いなさそうだ。
 
 
【レティーナ・ディスプレイはより大きく、強く】
"Enhanced Retina" と呼ばれる 新型のディスプレーは 4.7 インチ。超頑強ガラスが使用され、より衝撃に強い作りとなっている。なお、スマートフォンタブレットの中間タイプである「ファブレット(5.5インチ)」がアップルから出る噂があるが、これは少なくとも年末まで待つ必要がありそう。
 
 
【アルミから超合金へ】
グラム単位での軽さを追求するため、アップルはアルミからリキッドメタル(超合金の一種)を使用するようだ。
「リキッド」という名前ではあるが液状の素材ではない。プラスティックの柔軟さと金属の頑強さをかけあわせた新素材であるそうだ。
 
また、新型iPhoneにはデザインの変更も見られる。ボディーの端がiPod touchのように丸みをおび、電源ボタンの位置がより右に変わるようだ。またMacBook系列のように、背面のりんごのマークが光るようになるかもしれない。
 
 
【新型バイブレーション】
アップル社から中国の製造元に「指がスクリーンに触れるのに反応してバイブレーションが起動する」よう発注がかけられた。この機能の搭載は、アプリ開発の新たな道をひらく機能と言えそうだ。
 
 
NFC(近距離無線システム)の搭載】
新たなモデルではNFC技術を搭載するかもしれない。
※ここらへんから段々「推測」とか「予測」の役割をもつ文法が増えてきた(笑)
NFC技術ではいわゆる「おサイフケータイ」の使用が可能となる。)これまで長いことNFC技術はクパチーノ(アップル本社のあるカリフォルニア州の地名)を熱狂させたことはなかったが、どうやらその傾向にも方向転換があったようだ。
 
 
iPhone5s, 5c から iPhone6ではこれまで以上の大幅なモデルチェンジが予測されているが、依然としてバッテリーの持ちが課題として残されているようだ。
 
 
 
 
最近小麦粉ばかりこねくりまわして暮らしていたので、たまにはこうして脳みその方も・・・
心地の良い達成感と疲労感でおやすみなさい。
 

ベタベタのデレデレのグチョグチョ

たぶんこれが同居人との初めてのツーショット。
 

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人間ギライ、動物ギライ、神経質、情緒不安定、絶対的悲観主義、笑いのツボは合わない、ていうか笑ってるところ見たことない、いつも英語ばかり喋る、レスポンスが常に"NO"から始まる・・・
 
この頭の固いドイツ人なんかとっとと帰国してしまえと思っていたのは、
今からたった2ヶ月前までのこと。

 

 

 

今日の放課後、おなじみ例の同居人がローマ行きの長距離バスの切符を買って帰って来ました。故郷ドイツに帰るための、片道切符です。こうして彼女との別れの日が具体的になってくると、考えたくなくてもいつも頭の中を渦巻いてしまうことがあります。
 
 
新しくここに来る人は
 
同年代なのか年金生活者なのか
ガリ勉なのかパーティーピープルなのか
英語母語話者なのか日本語母語話者なのか
イタリア語既習者なのか学習歴ゼロなのか
女の子なのか男の子なのかはたまたその中間なのか
 
またこれからの生活のリズムについては
 
生活費は割り勘にするのか
スーパーへの買い出しは一緒に行くのか
風呂場やトイレの掃除は誰が担当するのか
ご飯は一緒につくるのか当番制にするのかバラバラで食べるのか
 
 
 
これまでふたりで作ってきたリズムを一度全部ゼロにして始めから組み直さなければならない。
 
ふう・・・・・・もう不安で不安で。
 
 
こんなところに書き出したら切りがないほどですが、
新しくやって来る人がどんなひとであろうと、私は一貫させたい姿勢があります。
 
・衝突を恐れてはいけない
・「分かってくれるだろう」に甘んじない
 
この2つ。今の同居人との暮らしで学んだことです。
 
 
たとえ日本とドイツが同じ敗戦国であっても、私たちは背景に同じ文化と歴史を共有していません。
(目から鱗だった日独の戦後教育の違い、これについてはまたいつかどこかで書くか、直接お話します)
 
極端に言えば、私たちが感情と言語以外に共有しているものなどほとんど無いと分かったのだから、
だからこそはっきりと感情を出して、そしてそれを言葉にすることがとても大切なのだと知りました。
 
つまり怒る時はちゃんと怒って、否定する時は否定する。
 
 
さて、いまここで私が「怒り」とか「否定」とか、
マイナスなことについてばかり触れているのには理由があります。
 
 
「脳みそお花畑野郎」の異名からも分かるように、
これまでの21年間わたしは喜怒哀楽の「怒」と「哀」は出来るだけ無視して生きてきました。
 
だってその方が楽しいし疲れないし心穏やかに生きられるし。
 
お花畑野郎の姿勢がこの先180度グルリと変わることはないと思いますが、
(ところで「お花畑野郎」の反対語はなんだろう、「お葬式ババア」?悲壮感が凄まじい)
この3ヶ月の滞在で「怒」や「哀」など負の感情の扱い方を学ぶことができたと思っています。
 
 
喜びや愛情の「正」の感情はなんとなく伝わればいい。
それがふんわ〜り伝わったところで、そこに危険は伴わないから。
 
「なんとなく嬉しい。」「なんでか分からないけど好き。」
 
全然問題ないですし、「好き」の理由を分析したところで好きなもんはもうどうしようもなく好きなんだから、多くの場合この分析は機能しないのです。まあ、好きだし楽しいし心地いいから結局ずっと考えちゃうけどね。
 
 
一転して怒りや悲しみや不満の「負」の感情は冷静かつ慎重に分析する必要があると思います。
適当にキライだったり、適当に怒ったりしてはいけないのです。
 
「なんとなく腹立たしい。」「なんでか分からないけど嫌い。」
 
あぶないあぶない。
 
例えば
①このひとの○○な行動が気に食わない。
②なぜ○○ばかりするのか。
③その原因は私にもあるのではないか。
④育ってきた環境にも要因があるのではないか。
 
→これを私と同居人に当てはめると
①同居人がケンカばかりふっかけて来るのが気に食わない
②なぜいつもケンカをふっかけてくるのか
③その原因は私の曖昧な態度にもあるのではないか
④議論好きのドイツ文化と和を以て尊しとなすの日本文化の食い違い
(そのときのケンカの詳細  http://natsuho87.hatenablog.com/entry/2014/05/01/082528
 
このときはただ単純に「むかつく!」だった感情が昇華して、
いっそう互いを理解し合えるきっかけになりました。
 
最終的に互いを理解し合えなくても、
なんとなくキライなままより原因がはっきりしていた方がその先に希望が持てます。
 
 
ここまで書いたことは何も、外国人と共同生活をしている今の私にだけに言えることではなくて
これから生きていくほぼ全てのシチュエーションに当てはまることなのではないかと思います。
 
 
まとめると、
・衝突を恐れてはいけない
衝突こそ互いを理解し合えるきっかけになるから。真摯な態度で不満や欲求は伝えること。
 
・「分かってくれるだろう」に甘んじない
共有しているのは感情と言葉のみ。
同じ日本人同士でも相互理解は難しいのだから、面倒くさがらないでちゃんと言葉にすること。
 
 
 
 
もう本当に最近TwitterfacebookInstagramも、同居人のことばかりで申し訳ないです(笑)
けどサヨナラまであと一週間しかないから。
 
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6月28日までは、ベタベタのデレデレのグチョグチョを覚悟して頂きたい。
 
 
 
 のろけ倒します。以上。

魅惑のイタリア男編

 

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ロシア語学科の美女がこういうのだから、やってみようではありませんか!
 
 
と、勢いで言ってはみたものの、
勉学に励むあまり滞在2ヶ月を過ぎたいまでも浮いた話のないわたし。
高校の友人達からは相変わらずバカにされっぱなしです。
 

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 ぐうの音も出ないとはこのこと。
 
 
ということで、魅惑のイタリア男を語るには今の私では経験値不足過ぎるため、
今回の投稿では彼らをまず分析し、その傾向をまとめてみることにします!
 
 
 
 
さて「イタリア男」というと、みなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか。
愛と遺伝子をいっぱい振りまいて生きているイメージが強いのではないかと思います。
 
 
イタリアは1861年にガリバルディによって統一されるまで、小国が乱立するただの半島でした。そのためいまでもイタリア国民の帰属意識は国家ではなく各自の出身都市にあるようです。同じイタリア人といっても、ミラノの「ミラネーゼ」とナポリの「ナポレターノ」では大きく気質が異なると言われます。
 
ということで「イタリア男」と言っても、実はその実態は様々なのです。
分かりやすい例があります。
 
北イタリアは半島の中でもより大陸側に近く、規律と調和を重んじて生きてきた背景があるようです。そのため気質もどちらかと言えばドイツ人より、つまりマジメ、と言われています。
 
一方で南イタリアは地中海の太陽をたっぷりとあびた肥沃な土地のおかげで、あまり熱心に働かなくても食べていけるというありがたい背景があり、歌い踊り遊び生きる方に情熱を注いで生きてきました。
 
日本でよく知られているイタリア人といえば、ジローラモ氏やザッケローニ監督が思い浮かびやすいと思いますが、遊び人として知られるジローラモ氏は南部カンパニア州出身、緻密さとマジメさが売りのザッケローニ監督は北部エミリア・ロマーナ州の出身です。なんとも象徴的ですね。
 
 
 
それでは、私の暮らすここシエナの「セネーゼ」はどうでしょう。
 
イタリア国内ではセネーゼは閉鎖的だという評判があるようですが、世界レベルで閉鎖的な日本人の私からすれば、それでも非常に開放的であるように思えます。ナポリとかシチリアに行ったらどうなっちゃうのでしょうね。ちょっとどうかなっちゃってみたい気もしますね。
 
 
さて、傾向をまとめると書いておきながら話が脱線してしまいましたが、
ここから先はシエナの同年代の男の子達を独断と偏見で分類してみようと思います。
 
 
① 格安ジャスティンビーバー系
水色や黄色のでっかい派手なサングラスを頭に乗せて、
スキニージーンズにオーバーサイズの白いナイキを履いている。
髪型は一様にしてサイド刈り上げ、上部にのみ5センチ程度の厚みの髪の毛を残している。
ジャスティンビーバーを70%割引にした感じ。
 
 
EXILE
ピタTと茶色い肌と筋肉アピール。髪の毛は黒く短く、ジェルでトゲトゲに固めている。
己の男性性を必要以上に外に出すことを生き甲斐としている。
このタイプには大抵巨乳の女が横にいる。
 
 
③もったいない系
服装や髪型に無関心。薄汚れたニューバランスを履いて黒ぶち眼鏡をかけて「シエナ大学」と書かれたリュックやジャージを着ているタイプ。あなた・・・磨けば絶対に100倍かっこ良くなるのに・・・!という見ていて歯がゆいタイプがこれ。
 
 
④吸引力の変わらないただ1つのダイソン系
私が普段ジョギングをしているメディチの要塞で、恋人と絡まり合って吸引力を発揮しているタイプ。
一周1.3kの要塞を何周しても何周しても、吸引力は衰えることなくチュッチュと音を立ててことに及んでいる。
 
※ 尚、①と④、②と④のような複合型も多く見られる
 
 
 
シエナという土地柄なのでしょうか。
大都会ローマや、中世からの目の上のたんこぶフィレンツェへの憧れをこじらせているタイプがなんだか多いような気がします。要するになんとなく「がんばっちゃってる」感じ。東京の男の子たちの方がよっぽど洗練されていて、力の抜き方が分かっていて素敵に思えます。
 
 
 
川田夏穂の分際で大変偉そうな評価をしてしまいましたが、少なくとも見た目だけで判断すると、誰が評価してもこんな感じになると思います。見た目だけで判断しなくてすむようなチャンスが私にもほしいっ!
 
 
 
 
 
 
以上、約1700字に渡る「イタリアで私に彼氏ができない言い訳」でした。
 
 

 

 

アルゼンチンババアの教え

 
私が親愛の情を込めて(心の中で)こう呼んでいるのは、よしもとばななのあの代表作のことではなく、同じ語学学校に通うアルゼンチン出身イスラエル在住のおばちゃんです。
 
強烈なキャラクターとビートたけし似の顔面を持つアルゼンチンババアと私は割と仲が良く、話し好きの彼女はクラスの違う私にもいつもたくさん話しかけてきてくれます。
 
 
※参考画像 絵・川田夏穂

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今日の休み時間もアルゼンチンババアは私の方にやって来てくれました。
 
どうやら、アルゼンチンババアとクラスメイトの日本人女性(こちらは「暇をもてあました神々の遊び」でおなじみモンスターエンジンの西森さん似)が、同世代同士で仲良くお話をしていたところ、ある時点で話が急に通じなくなったのでそれを私に訳してほしいということでした。
 
 
アルゼンチンババア「ねえちょと!ナツホ!この人さっきから話が通じないんだけど日本語に訳してくれない!?わたしはね!本当ぉ〜〜〜に日本人というのは上品だと思うしっっ何事にも丁寧でお行儀が良くてっっ、とっっっても素晴らしい文化を持ってると思うのよ!!!私はさっきからこれが言いたいだけなのに!彼女ったら『ノー!ノー!』って、何回言っても理解してくれないのよ!!お願いだから訳して訳して〜〜〜」
 
 
暇をもt 日本人女性「いやいや私はこの人の言ってること分かってるのよぉ!そんなことないわよって言ってるだけなのに〜」
 
 
なるほど・・・
これはきっと英語やイタリア語が通じてないっていうか・・・
そもそも文化が通じてないことが原因なのでは・・・
 
 
ーーーーーーー暗転ーーーーーーー
 
 
「本心から褒めているのにそれを鼻から否定するのはまじでアンフレンドリー!
ぶっちゃけあの時は『素直に受け取れよこのファッキンジャパニーズ!』ってぐらいむかついた!!^^」
 
これは数日前の食卓での同居人の言葉です。
同居人の言う「あの時」というのはいまから2ヶ月ほど前のこと。
 
まだあまり仲の良くなかった同居人に
「ナツホはとても美人だと思う。たまにジェラシー感じるぐらいそう思う。」
と言われたことがあります(↑いまこれ書きながら恥ずかしくて死にそう)。
 
私は客観的に自分の顔面偏差値は45ぐらいだと思っているので、当然ながらその時も「はあ!!!??ありえねえよ!!!」という感じで全否定しました。この日のことを振り返って、私たちは話をしていたのです。
 
 
ところで、比較文化論などで日本の謙遜について語るときによく出される例があります。
 
私たちは人にものをプレゼントするとき「つまらないものですが・・・」とよく言いますよね。これは実は西洋文化圏の人からしたら「なんでわざわざ『つまらないもの』をプレゼントするの?ひどい」と取られるようです。
 
他にも自分の家族を「愚妻」や「愚息」と言ったり、贈り物をするときに「松の葉」という一言を書き添えたり、自宅の庭を「猫の額ほど」と表現したり・・・このように謙遜する文脈で使われる言葉が日本語にはたくさん。
 
湘南の栗まんじゅうこと川田夏穂が「ジェラシーを感じるほど美人だ」と言われて「ノー」と言うのは謙遜でもなんでもなく誤りを正す全うな否定なのですが、まあそれは置いといて、多くの場合日本では褒められたらまず謙遜して「そんなことないよ〜」と続きますよね。
 
しかし、お世辞ではなくて本心から褒めているのにそれを一生懸命に否定する。
それが相手(この場合アルゼンチンババアや同居人)に対して壁を作っているように受け取られてしまったようなのです。
 
先ほどのビートたけしモンスターエンジンのやりとりに戻りますが、
自国を褒められたことを日本の文化規則(謙遜)に則って「ノー!ノー!」と返すのは、
西洋的文化圏で育ったビートたけしには理解不能の言動だったようです。
 
つまり、言語を共有していないからではなく、文化を共有していなかったことから生じるものだったのだと思います。
 
 
もうひとつ謙遜にまつわる東西文化の摩擦の例を思い出したのでまとめてみました。
 
【母親を褒める】
 
同「うちのお母さん、若い頃から本当に美人で、娘の私からしてもため息が出るほど素敵なの。」
私「うちのお母さん、下半身太りだし地黒だしくせっ毛だし、残念な見た目ばっかり似ちゃった。」
 
同居人の心の中:お母さんのことが大好きで誇らしい。夏穂にもうちの母親の素晴らしさを伝えたい。
私の心の中:身内自慢は鬱陶しい。なぜいつも同居人は家族の自慢話ばかりするのだろう…
 
答え:個人主義の西洋文化(「母親≠私」なので家族の自慢は問題ない)
   集団主義の日本文化(家族の自慢は自分の自慢と同義)の摩擦
 
これまで外国語をいくつか学んできましたが、円滑なコミュニケーションのためには流暢な言葉の運用だけでなく相手の文化背景にまで視野を広げてみることが大事なのだと身をもって感じたできごとでした。
 
 
 
 
おわりに、6月末で帰国する同居人との暮らしについて。
上の例で出したようにお互いに感じていた相手へのイライラの原因や摩擦の謎が対話(今やイタリア語8:英語2)によって次々と明らかになる最近です。韓流ドラマの最終話のような、楽しくて明るくて少し切ない最後の1ヶ月をふたり仲良く噛み締めています。
 
※カタカナを覚えたい同居人の図

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いつも長い文章なのに最後まで読んで頂いてありがとうございます。
リモンチェッロを引っ掛けてから書いてるので、多少の無礼はお許しください・・・
 
 
それじゃ、ボナノッテ!

議論とケンカ(滞在1ヶ月目の報告)

同居人と1ヶ月一緒に過ごして来て、疑問に思うことがたくさん出て来ました。

 
・なぜいつも私の意見の否定ばかりするのか
・なぜ真剣な話題になるといつも眉間に皺をよせるのか
・なぜ頻繁にケンカをふっかけてくるのか
 
 
さて、話は今月24日に遡ります。
おなじみ同居人(ドイツ人18歳女)と2人で、シエナの近郊都市ルッカに行ってまいりました。
ローマのコロッセオピサの斜塔みたいに目立つものはあまりないけど、
花と緑と教会にあふれる、とてもゆったりとした素敵なところでした。
 
私の住む街シエナからルッカまでは鈍行をのりついで片道3時間、往復6時間かかります。
ここでの滞在時間も実質6時間弱だったので、下手したら観光している時間より電車に乗っている時間の方が長いほどでした。
 
他愛のない電車での雑談も、6時間を超えると何かしらの発見を生むみたいです。
ルッカの街そのものについても話したいことはたくさんあるのですが(おすすめしてくれたT子ちゃん本当にありがとう〜)今日はルッカではなく、シエナ-ルッカ間の電車でのお話です。
 
いきさつは忘れましたが、日本とドイツ、お互いの国の少子化問題から転じ「将来結婚したい?子供はほしい?」という話題になりました。
 
私『ん〜私は一人っ子だったから、2人か3人いたら楽しそうだな〜』
 
同居人「Oh…no… 3人は絶対にやめた方がいい…」
 
へっ????
 
聞いたことあります?そんな意見・・・。理由を聞きます。
 
「たとえそれが兄弟間であっても、3人という数では必ずゆがみが生じて、2人と1人になっちゃうの。3人がお互いを平等に扱うことは不可能だし、はじき出された1人は将来的に、人間関係で少なからず深刻な問題を抱えることになる。3人の中のはじき出された一人が可哀想だし、家庭内にそのような問題が生じるのは望ましくない。だから3人子供を産むのは絶対に辞めた方がいい。」
 
『深刻な問題!!?? いやいや、そんなことはないでしょう。わたしの知ってる3人兄弟はみんな楽しそうにやってるよ。それにこの世の全ての3人兄弟がそんなネガティブで繊細な訳がない。少なくとも、私が3人産むとしたら自分の子供達をそのようには育てない!』
 
「はぁ・・・(大きいため息)なつほは全然分かってないよ。それは、これこれこういうわけで・・・」
 
と、彼女が3人兄弟を勧めない理由が永遠に続くわけです。話を聞きながら身近な3人兄弟の顔が次々に頭に浮かんで、彼らの生まれを否定されたような気がしてやたら腹が立ってきます。これはいかん、と。このまま続けたらまた前みたいなケンカになると思い、大人げなくも「ハイハイ、そんなに言うならじゃあ私は4人産むわ!それでオッケーなんでしょ!」と返してその話題を終わらせました。同居人のため息は不可避でしたが。
 
そしてしばらく沈黙が続き、彼女が一言こぼします。
 
 
「こういう議論ってほんと楽しいよね〜。いつも熱くなっちゃう。」
 
 
・・・ええ!?楽しんでたって!?怒ってたんじゃないの!?
てっきりケンカが始まると思ってはらはらしていた私を尻目に、彼女はこのやりとりを楽しいと感じていたようです。
 
『正直、私はちょっと困ってたよ。下手したらまたケンカになるんじゃないかって思ってた。笑  21年生きてきて3人兄弟が精神衛生上よろしくないって言う意見自体そもそも理解できなかったし、なんでそんなに強く否定されるのか分からなかったし、あなたが怒っている理由もよく分からなかった。』
 
「NOOOO!! そんな風に思ってたの!?だとしたらほんとにごめん!全然怒ってないよ、真剣に考えてただけ!ただこういう真剣な議論を友達とするのがすきなだけなの!だってお互いが " I agree!"  " Me too, I agree!"  の会話なんて面白くないでしょう?」
 
『ん〜、日本にはね、"和を以て尊しとなす"という教えがあって、協調と調和を重んじる文化があるの。相手の意見を打ち負かすディベートや議論よりも、協調性をもって何かを行う方が長けてるのよ。』
 
と、自分がまともに言い返せないことの言い訳のつもりでしたが
彼女に説明しながらあ〜〜〜〜!なるほど・・・!と脳内のアハ体験が止まりません。
 
同居人の言い分を聞いたとたん、「まじ分かるぅ〜」「だよねぇ〜」「それな !」という聞き慣れた日本の若者コトバが頭をよぎったのです。
 
 "I agree!" "Me too, I agree!" って・・・まさにこれじゃん。
 
日本人は無意識のうちに相手の意見に同調しながら会話を進めてるのだと気がついたのです。
というのと、
自分が思っていた以上に自分は日本人らしい日本人だったことに気付き、驚きさえしました。
 
自意識過剰の、恥ずかしいことを言います。
 
中学では英語の弁論大会で全国大会に出場し、「国際」という名のつく県立高校で充実した思春期を過ごし、大学では外国語学部で国際政治を学び、海外の友人もたくさんいて、これまでに5つの外国語を学んで・・・自分はいわゆる「日本人日本人」した人間ではないのかなと、偏狭ながら、恥ずかしながら、思っていました。
 
日本の友達と話をする時も「まじ分かるぅ〜」とか「それな!」などの言葉を避けてきました。
みんなが使っている若者のはやりコトバが好きじゃなくて。
 
これまで多くの事柄について「人と同じじゃいやだ」派の私でしたし、なんでもかんでも人に同調するようなことは避けていたつもりでした。しかし、相手に共感し同調することで話を進めるという、極めて日本的な文化の中で育って来た(と今回分かった)ので、"NO" である理由を非常に論理的に(時に理屈っぽく)返されたことに混乱してしまったのです。言い換えるなら、相手から否定されることに免疫がついていなかったのです。
 
 
 
さて、ここで冒頭の3つの疑問に戻ります。
 
これまでの私の見方
【なぜいつも私の意見の否定ばかりするのか】
  →私と同居人は性格が正反対だから仕方ない(けどやたらむかつく)。
 
【なぜ真剣な話題になるといつも眉間に皺をよせるのか】
→私の意見に同意できず同居人は怒っている or 少なくとも話が通じずイライラしている。
 
【なぜ頻繁にケンカをふっかけてくるのか】
  →まったく理解不能(不快なのでやめてほしい)。
 
正解
【なぜいつも私の意見の否定ばかりするのか】
  →同居人からしたら強い否定でもなんでもない。
「和を以て尊しとなす」の中で育った私が、周りから同調されることに慣れすぎているだけだった。
 
【なぜ真剣な話題になるといつも眉間に皺をよせるのか】
→怒っているのではなく、彼女が真剣に考えている時の顔。
 
【なぜ頻繁にケンカをふっかけてくるのか】
  →幼稚なケンカではなくて、まともな議論。様々な話題について、
彼女の関心対象であるアジア人の私がどう考えているのか知りたいだけ。
 
 
 
 
 私が育った文化の中では「口は災いのもと」「嘘も方便」「空気を読む」など、本当のことをそのまま言うことが必ずしもいい結果を招くわけではないとする言葉がたくさんあります。
 
しかしこの常識が通用するのは、おそらく日本の中だけ。
少なくとも、私の同居人にとっては自分の意見をはっきりと主張しない私の態度は不快だったようです。
 
無理して相手に合わせたり言いたいことを我慢するより、180度違う意見だったとしても態度と言葉に出してそれを論理的に説明した方が相手にとって誠実さ、あるいは優しさを見せられることになるのです。そういう世界もあるのです。
 
彼女の「正解」が分かってから、毎日劇的に過ごしやすくなりました。
食器のすすぎ残しについてや、運動前の準備体操について、また互いの国での同性愛事情やドイツと日本の戦後教育の違いまで、あらゆるケンカ(改め議論)をふかっけられても、いまでは心に波風立てず「議論」をすることができます。
 
他人と一緒に生活すること自体初めてなのに、まして相手は初対面のドイツ人18歳。
日々の摩擦をストレスと捉えるか、脳みその成長痛と捉えるか。
8ヶ月後、今を振り返ったときに後悔しない解釈を取りたいと思います。
 
 
 
 
 
久々に書いたので力んじゃったみたいです。こっぱずかしくなったのでもう寝ます笑
 
おやすみなさい。